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http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10260068/からつづく】
本日のメイン・イベントは、自由の女神と移民博物館の観光である。フェリーはマンハッタンの南端にあるバッテリー公園から出る。フェリー乗船前に空港同様のセキュリティ検査の順番待ちがあるので、とにかく早い目に行っておくのがよい。
という舌の根も乾かないうちに、9/11で倒壊したWTCの広場にあった現代彫刻に足を引き留められた。無惨にひん曲がった金属のオブジェがあの日の衝撃を生々しく物語る。その主題は、世界平和。あの惨劇を生き残ったこの造形が、世界平和への希望を意味するものと思いたい。
フェリー切符は当日でも買うことができるが、女神像の台座に登れる通行券(Monument Access Pass)つき切符はウエブで事前予約するか、当日朝に限定数だけ販売されるものを買いに行く必要がある。一日およそ15,000人の訪問者のうち、博物館のある台座に登れるのは3,000人に限られている。僕らは、1週間前に午後2時半発の通行券つき切符を予約してあった。通行券つきでもなしでも同じ大人12ドルの切符なので、行かれる方は抜かりのないよう。
自由の女神はバッテリー公園の沖15分のところにある外周1キロの小さなリバティー島に立っている。自由の女神像(Statue of Liberty、正式名は「世界を照らす自由」像 Liberty Enlighting the World) は、合衆国建国百年を機に、フランス市民の友好の徴として米国市民に贈られたプレゼントである。米国市民は、この美しい贈り物が国費ではなく、すべて一般のフランス市民の寄付で制作されたということを忘れてはいけない。
フェリーが島に近づくにつれ女神像が徐々に大きくなる。ほんの15分の船旅だが、一世紀前はるばる大西洋を越えて欧州からこの地にやってきた移民たちが、この像を見たときの喜びと安堵を思い浮かべることができる。
9/11までは像の頭部にある冠の展望台(高さ約90メートル)まで登ることができた。もちろん、数時間の順番待ちを覚悟すればの話である。テロ攻撃後禁止されていた台座への立ち入りが再開されたのは2004年。いまだに台座(高さ47メートル≒ホースシュー滝の高さ)より上へは登ることができない。
公園の入口で借りたヘッドフォン式のガイドに従って歩いていると、女神像の制作に貢献した4人のフランス人の像に差し掛かった。像をデザインした彫刻家は、フレデリック・バリトルディ。この人の仕事のなかで、この像が一番有名らしい。彫刻家ご本人が実際にこの小さな島を訪れ、ここに像を建立することを決めたとのこと。像の原型は1870年にパリで完成。
彫刻家の原型をもとに巨大な像の設計を行った技術者は、ギュスターブ・エッフェル。ご存じエッフェル塔(1889年)の設計者である。打ち出した銅版でできた像を支えるのは、秒速20メートルの風で像を8センチしならせる鉄骨の骨組みである。
パリで完成した女神像は、1887年に350の部品に分れてニューヨーク港に到着した。しかし米国側では台座の建設資金が集まらず、像を収めた木箱は10ヶ月間港で保管されてしまう。フランス市民の好意に対して、今度は米国市民が応えようではないか、と寄付を求める新聞王プリッツァーの呼びかけのおかげで、なんとか1886年4月に台座ができあがった。こうして、同年10月、クリーブランド大統領の立会いで女神像はめでたく世界に披露されたのである。
僕らが女神像正面の遊歩道に来たところで、台座に登る指定時間になった。台座への入り口ではたくさんの人が列に並んでいたが、見ていると次々にはねられている。通行券が必要だと知らないで並んでいる人が大半だった。せっかくここまで来て台座にあがれないのは大変気の毒だが、前述のとおり枚数限定なので仕方ない。
またまた空港のようなセキュリティ検査を通過し、像の台座にある博物館に入ると、まず女神像が掲げていた初代のトーチが展示されていた。人が数人乗れる程度で思ったより小さい。その先には、指の長い女神の足、そして顔の実物大のレプリカがあった。緑青が吹いてないので銅色のままの顔だが、壁からにゅっ、と出てきたその様子は、なんとも不気味なプレゼンテイションである。夢に出てきそうだ。女神の顔つきは、古代ロウマの自由の女神リベルタス(自由を表すliberty、libertéの語源)をモデルにしていることから、古典に倣って無表情かつ中性的な顔になっているそうだ。
これに続いて女神像に関する解説や歴史の展示がある。ここでじっくり時間を過ごせば自由の女神博士になれそうなくらい包括的だ。世界中の女神像のレプリカの展示まであった。僕らは初心者編で適当に切り上げて、台座内部の階段を登ることにした。エレベイタは身体が不自由な人専用だった。
台座の二つの高さに展望台がある。まず地上約50メートルの高い方から。近すぎてなぞなぞのような絵だが、これがいま登れる限り像に一番近いところから撮影した写真である。さっき見上げていたところ(芝の向こうの遊歩道)を見下ろすと、こんな感じ。
台座に上がらないとあんなに下からしかみれない。予約がどれほど大事かおわかりいただけただろうか。ここからの眺めがこんなにいいなら、冠のところからの風景はどんなだろう、と思いつつ、暫く特権気分を味わってから下の方の展望台に向かった。
やっぱり下の方が全体が見えやすい。新しく買ったカメラの10倍光学ズームで顔をアップにしてみた。緑青の色がなんとも美しい。やっぱり、これこそ、アメリカの象徴だなあ。フランスのみなさん、ほんとにありがとう。
台座の下に降りたところで、突然土砂降りに見舞われた。他の観光客同様大慌てでギフト売店のテント小屋に駆け込んだ。テントの中には、さまざまなサイズの女神像やおよそ想像のつくあらゆる観光みやげが所狭しと並んでいた。押すな押すなの満員で、店にとってはまさに恵みの雨だった。
雨が過ぎて、次の目的地移民博物館があるエリス島へのフェリーの列に並んだ。そろそろ時間が遅くなってきたので、あまりゆっくりもしていられないがぜひ一目見ておきたかった。
ここでは、1892年から1954年まで欧州からのすべての移民が一旦受け入れられた移民局の建物が当時の様子に復元され、博物館として一般公開されている。
時間があればゆっくり見たいところだが、館内の検疫区域の展示をざっとみたあと、当時入国手続を行った2階の大広間を見にいった。映画「ゴッドファーザー・パートII」で8歳のビトが間違ってコルレオーニと名付けられるあの大広間である。
この建物が、故国を後にし、多くは英語も満足に話せなかった移民たちが最初に体験した自由の国アメリカである。一世紀前彼らは、ここで入国審査の順番を待ちながら、何を感じ、何を思ったのだろう。
僕は、アジアからの移民たちが大変な思いをしてこの国に渡り、自由を勝ち取るため幾多の苦難に耐えた長い歴史があることを知っている。今回大陸の反対側で刻まれた全く異質の歴史の現場を訪れて、米国というつづれ織りの多彩な紋様を紡ぐまた別の糸を発見した。
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http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10265150/つづく】